October 28, 2011
宮沢賢治 『語り』
2011年10月28日(金)
宮澤賢治作品の語りを聴きました。
語り手は柴川康子さんです。
歌
賢治の詩を、口ずさむうちに柴川さんの内から出てきたという曲にのせて。
『雨ニモマケズ』
曼荼羅絵図も言葉にして。
『永訣の朝』
手紙の朗読
かつての教え子に出した賢治最後の手紙を朗読。
注文の多い料理店 『序文』
『よだかの星』
柴川康子さんのご出身は盛岡。柴川さんの言葉の響きは、賢治作品をより深く味わいのあるものにしてくれました。
プログラムは歌に始まり、賢治の祈りとして詩を2編語り、手紙を朗読、そして童話へ。柔らかなメロディーに導かれるままに、賢治の世界へいざなわれて行きました。『雨ニモマケズ』の曼荼羅も語りの一部に取り入れられていましたが、これによって「祈り」という意味合いを強く感じました。次いで語られた『永訣の朝』では、嗚咽をこらえるのに必死になるほど入り込んでしまい・・・一回目の「あめゆじゆとてちてけんじや」で、胸がしめつけられ、もうたまりませんでした・・・こんな経験は初めて!その後は、もう只々賢治ワールドに浸っておりました。
こんな私の今日の感想は、
作品を語るには、その作品と周辺をしっかりと研究するべきと思いました。(柴川康子さんは、単に郷土が賢治と同じということを超えて、じっくりと作品と周辺を研究なさっていることを感じたのです。)
「語り」を聴くのは、聞き手の想像力と体力も必要!かな?(耳だけでなく全身を傾けて聴いていると、けっこうぐったりきます・・・ホント)
そして何より、「語り」により作品を深く感じることができました!素晴らしい体験です。これまでは『よだかの星』は救いのない悲しい話としか捉えられませんでしたが、印象が変わりました。よだかの思いが伝わってくるようでした。これはテキストを追うだけでは味わえないものです。スゴイ!!賢治の語りは無理でも、私も何か語れるようになりたい、という思いを強くしました。
宮澤賢治作品の語りを聴きました。
語り手は柴川康子さんです。
歌
賢治の詩を、口ずさむうちに柴川さんの内から出てきたという曲にのせて。
『雨ニモマケズ』
曼荼羅絵図も言葉にして。
『永訣の朝』
手紙の朗読
かつての教え子に出した賢治最後の手紙を朗読。
注文の多い料理店 『序文』
『よだかの星』
柴川康子さんのご出身は盛岡。柴川さんの言葉の響きは、賢治作品をより深く味わいのあるものにしてくれました。
プログラムは歌に始まり、賢治の祈りとして詩を2編語り、手紙を朗読、そして童話へ。柔らかなメロディーに導かれるままに、賢治の世界へいざなわれて行きました。『雨ニモマケズ』の曼荼羅も語りの一部に取り入れられていましたが、これによって「祈り」という意味合いを強く感じました。次いで語られた『永訣の朝』では、嗚咽をこらえるのに必死になるほど入り込んでしまい・・・一回目の「あめゆじゆとてちてけんじや」で、胸がしめつけられ、もうたまりませんでした・・・こんな経験は初めて!その後は、もう只々賢治ワールドに浸っておりました。
こんな私の今日の感想は、
作品を語るには、その作品と周辺をしっかりと研究するべきと思いました。(柴川康子さんは、単に郷土が賢治と同じということを超えて、じっくりと作品と周辺を研究なさっていることを感じたのです。)
「語り」を聴くのは、聞き手の想像力と体力も必要!かな?(耳だけでなく全身を傾けて聴いていると、けっこうぐったりきます・・・ホント)
そして何より、「語り」により作品を深く感じることができました!素晴らしい体験です。これまでは『よだかの星』は救いのない悲しい話としか捉えられませんでしたが、印象が変わりました。よだかの思いが伝わってくるようでした。これはテキストを追うだけでは味わえないものです。スゴイ!!賢治の語りは無理でも、私も何か語れるようになりたい、という思いを強くしました。